桜の源氏物語

日本語で書いた本「桜の源氏物語」を、

日本出版社の編集者たちに書評を聞いてみました。

 

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一、とても胸に迫る文章です。二、時々、文章に引きこまれ、鳥肌がたつほどに感動しました。三、胸を突かれ、言葉を失いました。四、李さんは世界じゅうの日本人を泣かせるつもりなのだ。五、たいへんな大作だと思いました。六、抒情的で、絵画的で、音楽的で、格調高く、優艶な内容です。七、まるで白楽天が生まれ変わったよう。八、気になった点としましては、蒲公英、手弱女など、年配の人でないと読めない漢字が散見されます。これらは、直したほうがいいと思います。

 


まえがき

 

花深く潜んでいる蝶は、蜜を吸うのをよしとして楽しみ、地を仰いで咲く唐辛子の花は、その香りを遠くから匂わせる。ところがこのわたしは、花の情を知ろうとしては、風に微動だにしない蝶に負けるし、世の中に処しようとしては、いつも謙虚に頭を垂れている唐辛子に恥じる。

事業して金を儲けたいと思っても、その商才に欠けているし、帰郷して風流を楽しもうとしても若すぎる。やむなく会社を整理して新都市に塾を設け、教壇に立って将来の人材を教え暮らしている。

学生にかまけているため、世間の物事に通じていないので、新聞を開けて、しばらく社会面を読み、耳をそばだてて学父母の声を聞き、目を閉じては学生たちの成績を思う。

ようやく春風のどかに吹き、寒そうに身を縮めていた草木は目を覚まし、新しい学期への望みが長い冬休みのだるさを押し出し、教室の中にはこれまでと違った学生たちが加わり騒々しくなった。嬉々として遊ぶのを見ては子供の時に戻り、静かに勉強に励むのを見れば日本語を覚えた時を思う。

思い起こせば三十年前の夏の日、鬱々として京畿道烏山市にある禿山城洗馬臺に登ったことがあった。欅けや木の下に立っているといきなり雷が鳴り、雨が降り出した。城内の宝積寺の軒下で、ひとり雨宿りしていると、日本に留学したことがある住職さんから中へ誘われた。これが日本語勉強のきっかけとなった。

わたしが日本語を学ぶ前は日本について何も知らなかった。しかるに雷神雨神は日本語へと導いた。が、どうしたことか、このわたしが日本語の本を読めば「どうして日本語なの?」と、日本の良さを話せば「よっぽど日本好きだな」と、不都合な真実を語れば「親日派」だといわれる。

それから臍を固めた。三十にして歴史小説を読み、四十にして古文を味わい、五十にして和歌や俳句を詠み、結びに日本を旅しよう。その時までは、親日派と言われようが、何と言われようが、堂に入るまで磨琢しよう。そして、誰でも思うけど誰もやらないことをやろうと。

日本語を勉強したお蔭で、二十八歳の時、福岡駐在所長となった。一を以て之を貫くの思いで、少しでも時間の余裕があれば、日本語辞書と首っ引きになって、吉川英治の『三国志』を読み始めた。三回読み直すと日本語は順風満帆、三十年続くと日本書籍は五車。

三十五歳の時、和歌を詠む国内の知音が出来た。薄い唇、一文字に結ばれている浅黒い顔、穏やかでない目つき、朴正熙元大統領とは瓜二つの相似形。職業はソウル大学校の教授。この男、誰が見ても教授ではなく、誰が見ても野戦司令官といった面。時々、この歌を口ずさんだ。

 寝付かれず夜半の庭に出てみれば木々も眠るか梢動かぬ

五十路の坂にさしかかると考えが変わってきた。百聞百読は一見に如かず、これからは風流韻事に心を馳せようと。2014年、暇を盗みて、日本五大桜の旅をした。それは静中動の旅路であり、有心の旅路であった。

桜は妙な花、桜は妙な花。喜ぶと舞い悲しむと散る桜、悲しむと舞い喜ぶと散る桜、桜。向かい合っていると七情が染み渡り、いつの間にか五欲が吹き渡る。年を重ねてもその時の思い出がますます濃さを増す。

それから心を決めた。日本人が書くという桜の本というものを、わたしも日本語をもって書いてみよう。花の心と人の情が両々相まって胸にじんとくるものを書こうと。

桜の旅の写真を毎日見、訪れた場所を毎日地図で探し、前の文書に何度も手を入れる。心のうちは、花の塊のようで、時には休みなく明滅を繰り返し、時は使命のようなものまたは召命のようなものを感じる。

一年、二年書き続けていると、友たちが言う。外国人が日本語で桜の本を書くなんて、まったく恐れ入った話だと。日本文学を教える先生も、一生を日本語に精進した先輩たちも異口同音に言う。桜の本は俳句をものし和歌を歌い漢詩を詠まなければならないから、外国人には絶対できない、そんなことは絶対ありえないと。

書けるから書けると言うのに、いったいこのざまは何だ。かの希望のない国にいるかのよう。敗北主義の世に逃げ込んだかと思う。頭の中が空っぽとなり、桜の思いはことごとく消え失せる。

失望のなかであれこれ思いが巡る。思い巡らせば、ああ、なんたることだ。日本語に気が引けて挑まずに諦めている連中に軽く見られるなんて。ぷいと席を立つ。この寂しい気持ちを、私はどうしたらよいのだろう。

書こう、書こう、桜は心に宿るもの。黙々と、本物は世に範を垂れるもの。できるかどうかを求めてはならぬ。ものするかどうか、迷ってはならぬ。舞おう、舞おう、花びらは空に舞うもの。桜の気持ちを心の中に刻み、春風の如く無碍に、筆に自分を委ねよう。

幸いにして私の心の中には、いつからか厳しい花先生が宿っていた。軽く書こうとすればここは重く書け、重く書こうとすればここは軽く書け、俳句を詠めばここは短歌を詠め、短歌を詠めばここは漢詩を詠め、漢詩を詠めばここは俳句を詠め、など、間断なく指摘される。

こうして厳師のもと、三年間、推敲に推敲を重ねてもいたちごっこの繰り返しが続く。やっと、一冊分の原稿になると、花先生が言う。

「李さん、花の琵琶行と花の長恨歌を詠まないかぎり、日本人の心を射止めることは出来ません。この二つの和文の漢詩を詠むことによって、日本中の桜がぱっと咲きますよ」。さらに言い付けて、「これ最後の二つですから、どうぞお諦めになりませぬよう」 という。

花先生はまた白居易の長い長い漢詩を教えて、続けて和文の漢詩を詠んで和するように命じた。これはもともと日本人の得意とするところで、外人のわたしにできはしない。しかしながら、風流韻事だと思えばやる気も起こり最後の難関だといえば越えたくなる。

2019年4月、宗教学者の島田裕巳先生と一緒に埼玉県さいたま市にある氷川女体神社ひかわにょたいじんじゃに参った。花吹雪の中を歩く先生に、「この花びらをどこまで飛ばしましょうか」と言いかけると、「どこまで飛ばせますか」といわれ、「月までは飛ばすのはできます」と答えた。それから、花の琵琶行、扶桑花舞行を詠み始めた。

韓国に戻って、毎日、鄭美愛が歌う「張緑水」と「水銀灯」を聞いた。その嬌声きょうせい*は花蝶の舞うが如く、鼻声は春風の渡るが如く、侘び声はかぐや姫の嘆きの如く、澄み声は富士を渡る白雲の如し。お蔭で、扶桑花舞行を詠み終えることができた。

残りはあとひとつ、それは花の長恨歌、神代花舞行を詠むことである。これを詠めば間違いなく圧巻となるぞと思ったのも束の間、思いかけない玉ねぎ男風に吹き上げられ、詩興は破り、詩心は湧かず、たった一句も詠めずに万事休す。やれやれ。

花の長恨歌の前半部は、チョ・ミョンソップ君が歌う「新羅の月夜」を聞きながら詠み、後半部は「ミスタートロット」という番組で三位を獲得した李燦元が歌う「ジントベギ」を聞きながら神代花舞行を詠み始めた。詠み終えると、桜とともに千年の時空を越えて天上を遊んだよう。

この原稿の風の巻は2013年6月から12月までの尋牛の物語で、花の巻は、2014年の春の十二日間の物語である。

 

2020年3月24日 水原

 

 

 

風の巻

 

〇一 東京 2013年6月27日

〇二 高山寺へ 2013年10月12日

〇三 神護寺 2013年10月12日

〇四 高野行 2013年11月18日

〇五 永平寺 2013年12月8日

〇六 比叡山延暦寺 2013年12月9日

〇七 金閣・大徳寺 2013年12月9日

花の巻

 

〇八 河津桜2014年2月22日

〇九 淡墨桜 2014年4月6日

一〇 岐阜城 2014年4月7日

一一 熱田の宮 2014年4月7日

一二 名古屋城 2014年4月7日

一三 狩宿の下馬桜 2014年4月8日

一四 潤井川 2014年4月8日

一五 次白居易琵琶行 扶桑花舞行

一六 富士への小道 2014年4月8日

一七 音止の滝・白糸の滝 2014年4月8日

一八 久遠寺 2014年4月8日

一九 王仁塚の桜 2014年4月9日

二〇 山高神代桜 2014年4月9日

二一 次白居易長恨歌 神代花舞行

二二 慈雲寺糸桜 2014年4月9日

二三 恵林寺 2014年4月9日

二四 六義園 2014年4月10日

二五 三保の松原 2014年4月11日

二六 三春滝桜 2014年4月22日

二七 乙姫桜 2014年4月23日

二八 白河の関 2014年4月23日

二九 岩風呂 2014年4月25日

三〇 輪王寺金剛桜 2014年4月26日